「…別に何もないです」

「…別に何もないです」「ほぅか…まぁいい事じゃ。儂も以蔵が言うたとは思うちょらんぜよ」「一足先に抜けてて助かったな、竜馬」「勝先生…先生のお力でなんとか出来んがか?」

「…すまねぇが」「ほうか…せめて…せめて最後に話したかったぜよ…」見るからに肩を落として、落ちこむ坂本。紫音はそんな中、初めて坂本と会った日の事を思い出していた…。―――時は少し遡る。勝に拾われた紫音は、勝の元に身を寄せていた。とは言っても、勝以外の人間とはほとんど関わらず、勝がいない時は山などに行っていたのだが。そんな折、坂本は現れた。勝を斬りに…。「…斬りますか?」子宮內膜異位症 月經殺気に、勝に問い掛ける紫音。だが、勝は笑って首を振った。「紹介状持ってきてんだ。その必要はあるめぇよ。なぁ、坂本くん?少しばかり俺の話も聞いちゃくれねぇかい?」そう言って、勝は坂本の知らなかった世界を語った。外国を脅威と恐れる幕府の人間が、よもや開国を考えている等とは思わなかった坂本。何より、天皇を立て幕府を潰す事を説く武市の論は、両手をあげて賛成出来ず、かといってどうしたらいいかわからない坂本にとっては、勝の話は目から鱗だった。「勝先生!儂を弟子にしてつかぁさい!!」「…この人、頭悪いですね」「わっはっはっおもしれぇじゃねぇか」「はぁ…あ、ほら目輝いちゃってるじゃないですか」「勝先生!儂は決めたぜよ!この日本を、こーんな豆粒みたいな日本を!でかい国にしてやるきに!!」ぐっと拳を掲げて、坂本は自分の道を見つけたのだった。***********「勝先生!こいつが以蔵じゃ!おっとこ前じゃろ?」岡田を護衛として雇ってくれ。そう言ってきた坂本の願いを、勝は快く引き受けた。勝が引き受けるや否や、坂本は岡田を連れて来て、紹介する。寝ている勝を叩き起こして。「…あー、わかったわかった。俺ぁ眠い、紫音、あと頼むぜ…」「…面倒くさいですね…」天井に控えていた紫音が、ため息混じりに姿を現す。坂本はそんな紫音に岡田を托すと、嬉しそうに飛び跳ねながら帰って行った。岡田は何も言わずついてきた。伸びに伸びた髪はボサボサで、前髪に目が隠れている。着物もボロボロで、歩く度に砂や埃が足跡を作っていた。「えーと…岡田さん?とりあえず湯を浴びませんか?」「……………以蔵」「はい?」「聞き慣れないき…」「あぁ、そういう事ですか。以蔵さん、ですね?」「………(こくり)」「私は紫音。湯を浴びたらそこの鈴を鳴らして下さい」「………(こくり)」頷きでしか返ってこない岡田に、紫音は苦笑すると、湯殿から出て、火を炊いた。しばらくすると、小さな鈴の音が耳に届いた。紫音が湯殿に戻ると、勝の古い着物を纏った岡田が、所在なさげに佇んでいた。濡れた髪を一つにまとめ、滴がぽたぽたと床にシミを作る。「部屋、まだ準備してないので、今日は私の部屋で寝て下さい」もう子の刻を過ぎている。紫音は欠伸をかみ殺しながら蝋燭の火を二つに分けた。それを渡すと、紫音が下から岡田を覗き込んでへぇ、と笑う。「坂本さんの言う通り、意外と整った顔してますね。髭も剃ったらいいんじゃないですか?」そう言うと、岡田は蝋燭から顔を背けた。…照れてるみたい。一人納得した紫音はクスクスと笑いながら歩き出す。