宇山倉へ行くのもあ

宇山倉へ行くのもありだが、連絡が途絶えてしまうのはもう少し先にしたい。戦場の喧騒が小一時間続くと、場違いな報告が上がる。

 

「ご領主様、扶楽の馬県令からの使いが来て居ります」

 

 扶楽が何か解らずにチラッと馬謖をみると「陳国の領域にて」簡単な言葉を添えた。直ぐに通させると使者は一礼して口を開く。

 

「陳国相楊喜より島大将軍を迎え入れるようにと命が御座いました。そのご意志あらば、扶楽は貴軍を受け入れる準備が御座います」

 

 ほう、曹植と連絡が取れたらしいな。そういうことならば陳国は友軍として見ることにする。

 

「うむ、厄介になる。多数の魏軍がついて来るはずだ、済まんが行かせてもらう」

 

「お待ちしております」

 

 県令からの親書だけを残して使者は去って行った。この場に居ても自身が邪魔になるだけだと解ってるんだろ。

 

「馬謖、陸司馬と李項に撤退の命令を下せ。扶楽へ向かうぞ」

 

「これが罠の可能性も御座います。先ぶれの軍を入れるが宜しいかと」

 

 確かにそういう向きもあるな、警戒を疎かにしてはいかん。

 

「董軍師、先行して入城の準備を。夏予と兵千を連れて行け」

 

「畏まりました、ご武運を」

 

 仮に罠であっても、董軍師なら粗略に扱われはしないだろう。実務的なことは夏予が居れば安心だしな。派遣を決めても牛巴はしつこく喰らいついてきた、牛じゃなくてすっぽんだなこりゃ。

 

 混在しては足を止めて少数で距離を取っては後退を続ける、陸司馬の直接指揮で混乱は起きていないが移動に時間が掛かり、そのうち李項らの軍が姿を見せた。あちらはあちらで郭淮軍にまとわりつかれている。勤勉すぎる労働英雄のおでましか。 キロ単位で距離が空いてはいるが、殆ど同じ位の位置で撤退戦をする。ドドンドドンドドンとあたりに太鼓の音が聞こえると『陳国』の軍旗を持った伏兵が追撃して来る牛巴の側面から多数の矢を射かけた。味方からの突然の攻撃に狼狽すると、急激に足を止めて、西へと引き返していく。それをみた郭淮も大事を取って停止すると牛巴と合流するように西へと消えて行った。

 

 李項と合流すると扶楽城へと急ぐ、どうも長平の北側十キロあたりの場所にいるらしい。一日かけて西へ行って、三日かけて撤退してきたようだ。

 

 城では既に董軍師が待っていて、馬県令と共に出迎えてくる。

 

「馬県令で御座います」

 

「援軍に助けられた、礼を言わせてもらう。俺が島介だ」

 

「楊国相のお考えは陳王のお考えで御座いますれば、我等はその意志に従うまで。どうぞ城へお入りくださいませ」

 

 董軍師に目線をやるがにこやかに頷くので罠の類ではなさそうだ。敗軍というほどではないが、一度も勝利をしていないのもまた事実。城門を潜ると左右の民家の前に医者が立っていて、負傷兵の治療はこっちだと招いていた。

 

 入城して二日、扶楽は十万以上の軍勢に包囲されてしまう。とは言っても隙間なく囲っているわけではない、軍営ごとに万単位で兵力が居て、それらが四方に居座っているだけ。それでも馬車や行商人が街道を進んで入城できるわけではないので包囲に支障は何もない。伝令がこっそりと通過できる可能性も残されている。

 

 何人かは当然殺されているだろうが、夜中に一騎城へたどり着けたので外部からの報告が寄せられて来た。

 

「鐙将軍が宛の攻略に成功し、寓州城方面へ移動を開始しました」